低評価からの脱出するためにやったこと
- なぜ低評価になったのか?
- 同じ環境で3年連続低評価だったときどうだったか
- なぜ高評価に変わったのか?
私は年間100冊以上のビジネス書を読むエンジニアです。
職場でうつ病になり、得意なことも苦手なことも自分が何者かわからなくなるほど混乱した状態まで落ちた経験を持っています。
昨年度の評価が返却され、数年ぶりに高評価がついたので、これまでやってきたこと、苦しんでいるときにやってきたことをまとめたいと思います。
ヤル気が空回りしていたり努力しても評価が上がらなくて困っている人が読むと何かヒントがみつかるかもしれません
なぜ低評価になったのか
- 異動して、やりたい仕事をやったが成果がでなかったから
結論から言うと、環境変化によって成果が出ないという状況に苦しんだからです。
私は社内公募という制度で、野球で言うと任意引退して移籍のようなことをしたので、戦犯のような扱いを受けながら異動しています。今になって思うと、当時リーダーをやっており、この先の組織の重要なポストにさせようとしていた人に入ってたのだろうと思っています。JTCあるあるとおもいます。
異動したら低評価に苦しみました。理由は、過去の記事で書いていますが、
大きく変化することは環境変化です。年齢や役割を考えたときに周りから期待される成果が出せないというのが最も苦しい変化となります。JTCな会社は長くいると自然と人脈もできるので、有効に活用できれば成果を出しやすいと言えます。
異動者多いので気づきますが、異動してすぐ成果を出せる人は本当に少なく、成果を出せる人はその界隈で技術が抜きんでている場合に限ると思います。
同じ環境で3年連続低評価だったときどうだったか
- やりたかったけど、苦手な仕事をやり続けて消耗したから
異動後半年で別チームに異動しています。そこでは開発を担当しながら、別会社との開発委託の窓口もやり管理をしつつ、開発メンバーの進捗を見ながら、関連会社に英語で仕様の説明や技術的な相談をするという役割で、がむしゃらにやりましたが、まったくうまくいきませんでした。(当時を知る人はまわるわけないと思われていたそうです)
なお上司がスーパーエンジニアであることも自分にとってはさらに不幸で、何をやってもうまくいかず、1年くらいずっとお説教部屋で毎日ダメ出しを受ける日々でした。残業時間は月に80を超えていた時期でもあります。
合計3回鬱症状が出たので、異動を決断し、別のチームへいきました。
病んだ話はこちらで解説していますので、参考まで。
なぜ高評価になったか
- 自分の長所ややりたいこと得意と思っていることではなく
他人からみたときに得意、すごいと思われていることを軸に仕事をした
昨年度大きく変えたことは、強みを仕事にしたということです。
人からみえる強みを整理して、仕事に展開するようにしました。そして苦手や強みじゃないことは、メンバーに振ったり、自分でやることをやめました。こうすることで、自分の強みだけを発揮する環境を作ったことで、仕事が楽になりました。
仕事を進めるうちに評価が上がり英語で主催会議をするという避けていたことから逃げられなくなったのですが、ここで私が使ったのがChatGPTやAI音声という最新のツールです。
ChatGPTは苦手なところをフォローしてもらうことに使いまくりました。得意な分野についての対話相手として使いまくっています。
参考までに私が英語会議で使う技
- 聴衆などプロンプトに設定し、資料の骨子をChatGPTと相談して決める
- 資料を作り始め、日本語でスクリプトを作りながらChatGPTにアドバイスをもらい図などを書き上げていく
- 日本語で作った資料を英語に変換する。この際に英訳の意図を議論する。
変な単語を使う場合はこの意図は?こっちのほうがよくない?という相談をしきめる - スクリプトまでできたら、ElevenLabsでスクリプトを登録し自分の音声を作る
- 何度かリハーサルを行いプレゼンをする
ElevenLabsで音声流すって技もありな気がしますが、途中で質問してくる場合に使えないので
自分で話すようにしています。何度か音読しているので結構伝わりますし、話している感もでているようです。スライドの英語と話す英語も違いますし。
まとめ
- 他人からみえる得意、強みが発揮できる仕事を多くした。
- 苦手、弱みの部分はAIを活用した
端的にいつとこの2点です。
一つ大事なことは30代後半などで異動もするでしょうし、仕事も変わるでしょう。
会社で求められる年齢とその役割が果たせないと評価もされないしつまらないです。
周りがどんどん出世するといつも仕事していた相手が変わるなど変化もあります。
なるべく楽に仕事をしたいなら環境が急に変化しない工夫をするといいなと思っています。